実録 026-METAL 日記後の四日間(その4)その3へ

丹野賢一

10月9日、昼過ぎ。
さきら側から、理事長・中野友秋氏、事務長・谷口誠一氏、プロデューサー・山本達也氏、NUMBERING MACHINEからアーティストマネージャーである松本美波の四名が、近隣マンションに赴く。
マンション側からは、自治会長、副自治会長が出席し、六名での話し合いが始まる。
松本からどうしても「今日の公演を行いたい」との旨を伝える。
マンションの自治会側の反応は、「今さらそんな事を言われても困る。」というものだった。
さきら側が作り、マンション住民に撒いたビラが机の上に置かれる。
内容は、「音量等に関するお詫びと、8日9日の公演を中止し、10日のみの開催にする。」といったものだ。
「昨日こう結論を決めて、マンション側にもって来たじゃないか。それがあなた達の意志だと思い、協力しようと一日掛けてマンション住民に説明したのに。」と。
さきらは、私達が自主的に公演を10日のみにしたいと言っているという大嘘をマンション側についていたのだ。
松本は、このビラ自体が我々が全く知らない間に作られたものであり、見るのも初めてある事。そして、これは私達の意志では全く無い事を自治会側に伝える。
8日、9日の公演を中止し、公演を10日のみにする意志など、私達は一度も表明した事は無いと。
事実を知った自治会長の驚きは尋常なものではなかった。絶句している。
相当に考え込んでいる。彼が私達に協力したつもりで尽力した事は、全く逆の結果を呼んでしまった事になるし、一体何の為に自分らは動いたのだろうとの虚無感もあったのではないだろうか。
全てがばれた事でバツが悪いのか、さきら側の人間は何も喋る事が出来なくなっていた。

自治会長は事実を知り、さきらの一方的な行為によって齟齬が生じていた事を認識はしてくれたが、「昨日決めた事は変えられない。」との意見は変わわらなかった。「何とか堪えてくれないか。」と。
松本の懸命の説得は続く。
自分達が直接住民の方と話したい事、この公演には丹野賢一/NUMBERING MACHINEという創作集団のみならず、さきらが集めた栗東近隣や関西圏からの公募スタッフも多く関わっている事、全国から今日の公演を観に集まってくる観客の方々が大勢いる事、多大な労力を使ってこの1ヶ月弱で積み重ねてきた作品である事、その期間中に出会った地元の人達も公演を楽しみにしてくれている事、私達は比喩では無く命を懸けようとしている事、等々。
自治会長は悩んだ末、「もう一度、我々と一緒に各戸を回って貰ってよいのではないか。」との発言をしてくれる。
暫しの沈黙の後、副自治会長が口を開く。
「連日の住民への説得は勘弁して欲しい。あなた達が死までを覚悟しているように、私も昨日言った事を覆したら、住民に死んでお詫びしなければならない気持ちだ」と。
松本に加え自治会長も一緒になって、副自治会長の説得に当たってくれる。しかし、副自治会長の納得はついに得られなかった。
「松本さん、ゴメン。私としてはやらせてあげたいけど、ここまで言っている副自治会長をこれ以上説得する事は出来ない。」
自治会長がこう言葉を発する。
これ以上の説得は難しいと松本は判断せざるを得なかった。
この緊迫したやり取りの間、さきら側の理事長・中野氏、事務長・谷口氏、プロデューサー・山本氏の三人は殆ど口を開く事は無かった。否、開けなかったのだろう。
(補足すると、自治会長は今回のプロデューサー・山本氏へ向け、企画を評価している旨の発言もされていた。)

松本が、さきらに戻ってくる。
この日の朝と同様、展示室にNUMBERING MACHINEのスタッフ、公募スタッフ全員が集合して、報告を受ける。
落胆、そして次の我々の方針は…。我々は決断を迫られていた。

この時点でも、私は今日明日両方の公演を行う方法を当然考えていた。その可能性を全員で話し合う。
今日公演を行うには、さきらもマンション側の了解も無いままの強行突破しか残されていなかった。
さきらはともかく、マンション側の合意が得られない状態での強行には躊躇の気持ちが全く無い訳ではなかったが、最早双方共が主張通りの結果を獲得する方法は無かった。
そして、全く問題の外で迷惑だけを被る事となる観客の立場は一体どうなるのか。
加えて、このままコケにされたままで堪るかという感情があった事も否定しない。

私の思考は、本番の強行の方に傾いていた。
強行した場合にどうなるかを皆でシミュレーションする。
真先に浮かんだのは、電源をさきらに強制的に止められる事だった。
これは以前のリハーサル中にもやられている事から容易に想像がついた。
電源を止められれば、照明は付かないし、アンプ類を通した音は出なくなる。また装置を電動で稼働させる部分の仕掛けも出来なくなる。
それでも、今から充電式の照明を数灯買いに行き、それを数人のスタッフが手に持って移動しながら照らす案、音は生音で演奏、装置は電動稼働以外の仕掛けのみを実行する案が出てくる。
しかし問題はまだあった。
それほどまでに本意では無い内容変更をしても、力づくで公演を止められる可能性を否定出来なかった。
さきらの職員が直接行うかもしれないし、警察に通報されて強制排除させられるかもしれない。
それも開始早々、いや開始と同時に何も出来ないまま、終了する危険だって十分ある。
その危険はあくまで想像であるのだし、実行してみるべきであろうか…
人間でバリケードを作って公演阻止に動こうとする連中を、中に入れないようにする手はないか…
いや、我々のスタッフはそのほぼ全員が本番中の役割を持っていて、とてもその人手には回れない…
電源の死守は誰がどのように行うのか…
様々な思考が渦巻きながら、ミーティングは続く。

決定的な問題がある。
私達の望んでいる事は何か。それは今日、明日ともに公演を行う事だ。
ところが、今日強行突破をした場合、明日の公演はまず間違いなく正規の形では出来ないだろう。
となると、明日もゲリラ公演とならざるを得ない。
私やスタッフが今日の強行突破により、勾留されるなどの事態にならなかったとしても、二日連続して同じ場所でのゲリラ公演が実現する可能性は本当にあるのだろうか。
「二日連続して同じ場所での」「ゲリラ公演」。それは言葉からして矛盾しているように思えた。実現するとの想像はし難かった。
私達の希望である当初の予定通りの三日間公演は、例え強行突破であってもまずあり得ないという現実がここにあった。
正直、さきらの屋上から飛び下りてやろうかとの考えも頭をよぎった。
そんな行為が非難されるであろう事の想像も出来るし、実行した所で彼らが事の重大さや人の思いなど理解する訳は無いとは感じてはいても、衝動は襲ってきた。
指示があるなら、ブルドーザーでさきらに突っ込む位の気はあると言った者もいた。
その事の是非は置いても、気持ちは痛い程理解出来た。

ここで公募スタッフの辻田恭子さんから、訥々とした語りで一つの意見が出る。
「私達は約三週間、この場所で美術・装置を作り、練習をし、公演に向けて動いてきた。今日、強行してしまったら、これだけの時間と労力をかけて作ってきた成果を、きちんとした形で見て貰う機会を完全に失ってしまう。割り切れないし、怒りが収まる事は無いけれど、ここは涙を飲んででも、明日の本番を最高の形で行いたい。」と。
至極素朴で真っ当な意見だった。
強行突破で得るもの失うもの、今日を犠牲にして得るもの失うもの、強行突破が持つ意味合い、今日を犠牲にする事が持つ意味合い、話し合いは続く。
一人でも反対意見は無い状態で結論は出したかった。
全員が必ず一言は口を開き、意見を言った後、私達の方向は定まった。
本当は全員が今日の公演を行う事を望んでいるにも拘わらず、断腸の思いで今日の公演を諦め、明日の本番に全力を傾けるというものだ。
30人程の大の大人達の大多数の目は、本当に潤んでいた。

私達にはまだ真摯に向かい合わねばならない事があった。今日公演を観に来てくださる方々への対応だ。
その準備の中、さきらの信じられない暴挙はまだ繰り返されるのであった。(続く)