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DIARY(2002年10月)

2002年10月31日(木)
朝5時に別行動となる、川口、大見謝を残し5人でヒースロー空港に向け、出発。
約2時間ほどで着く予定だったのだが、トラブルが・・・
途中、事故渋滞に合い、そしてそのせいか朝のラッシュにぶつかり、車が一向に進まず・・・
結局8時20分位に、空港到着。9時5分にはゲートが閉まるはず・・・
ここからレンタカーも返しに行かなければならないのだ。
大急ぎで搭乗手続きをし、レンタカー組の帰りを待つ。
8時55分位にレンタカー組が戻ってきた!空港内をダッシュ。時間ギリギリで何とか搭乗。
2時間30分のフライトでワルシャワに到着。
1年振りの寂れた感じのこの空港。イギリスでは左程強くなかった異国感が湧いてくる。
西欧の国比べ、東洋人が珍しいか、視線をやたらに感じる。
ここから国内線に乗り換えて、シュシェチンへ。
1時間ほどの待ち時間だった筈なのだが、中々ゲートが開かない。
しばらく遅れて搭乗、したと思ったら、いつまでたっても飛行する気配がない。
小さなプロペラ機の片方のプロペラが不調らしい。
結局、機体が変更される事に。乗り換え。
予定を大きく遅れて、シュシェチンへ到着。
タクシーで劇場とホテルのある市内へ向かう。ここで、またトラブルが。
タクシーがガス欠寸前になった挙げ句、故障。
運転手が車を止め、道具を購入して自ら修理開始。
予定を大きく大きく遅れて、市内へ到着・・・。
TEATR KANAのヤネックに会い、ホテルに案内される。元病院?といった感じの迷路のような通路に小部屋が並んでいる。
レストランでズッパ(スープ)とビールを御馳走になり、一息。
その後、別行動だった川口、大見謝を迎えに、シュシェチンの駅まで歩く。
凍結しているような道を白い息を吐きながら、駅で2人と合流。
20時間振り程度での再会なのに、底冷えのする空気、古い町並で一層増し異国感の中では、何故か感慨深い。
2002年10月30日(水)
いよいよカンタベリー公演の本番日。
14時から会場のAphra Studioが使用出来るとの事だったのだが、到着すると鍵が閉まっていて、またも「おあずけ」。
電話をかけに目の前の通りに出ると、丁度会場のスタッフであるデボラとデュランが乗った車が通りかかる。
これで劇場に入れる。
隣のラムリースタジオから追加の照明機材を借りてくる。更に音楽機材のセッティングや会場の設営であっという間に時間が過ぎていく。
ゲネプロがスタートできたのは結局18時頃に・・・
終了後、ミーティングをして皆は、セッティングや音質の最終調整。
もう19時30分か・・・大慌てでメイクを開始。特殊メイクなので時間がかかるのだ。
メイクの途中で、村山が編集していたビデオも完成。メイクされながら、最終チェック。
奇跡的なスピードでメイクは終了し、しかも出来はかなり良い。
20時30分、開演。
「021-WRINKLE」「017-SPEAKER」「022-RIDERS」「019-WRIST」「012-RAG」を上演。
上々の評判。
口々にあの作品が良かったと声を掛けてきてくれる。
日本でもそうだが、一番気にいったと名前を上げてくる作品が、皆個々バラバラ。好みは様々。
大見謝からの話を受け、今回のカンタベリー公演の実現に向け最初に相談に乗ってくれた大学のシアタースタディの講師のポールが、ロンドンの劇場などに紹介したいと申し出てきてくれる。来年以降に繋がりそう。
劇場のスタッフもこれまで以上に良い感じで、片付けも殆どしなくてよいからと言ってくれる。
学内のバーでビール一杯だけの乾杯をし、劇場に戻り、片付け。
途中で食料を調達し、帰宅すると翌1時。
5時には空港に出発だ。
2002年10月29日(火)
まずはミラーボールを借りにレンタル屋へ。
実は日本から持ってきたミラーボールがトランスを通したせいか、どうも調子が悪いのだ。
しかし、レンタルショップにあったものは、回転速度が遅く使えない。
急遽、「011-DOT」の上演を止め、「019-WRIST」に変更する事にする。
しかし、その場合「011-DOT」の後に予定していた映像が適さない。
イギリスでは上映予定がなかった為、編集途中だったビデオ(7月の岡山犬島公演のもの)の仕上げを村山に急いで貰う事にする。
「Aphra Studio」に到着。
今日は13時から使用できるという話だったのだが、時間になっても中では授業が続いているよう。またも「おあずけ」状態。
結局30分遅れで会場に入り、仕込みを開始。ここでまた難題が。
照明機材は多いとは言えないながらもあるものの、ケーブルが繋がっていなかったり、コネクターが付いていなかったり。
吊り込みと修理を平行して行うという状況。時間が足りない。
更にスカンクの爪が割れる。ギターを弾くのに必要な爪だ。
微妙な手入れをして、なんとか 問題を解決する。
結局夜中の2時30分までかけて、照明を中心とした仕込みと打ち合わせを今日の分は終了させる。
新作の照明は狙い以上の感じで現実化してきている。
あとは入念なリハーサルをといった所だが、残った作業も多い。
明日は時間とのイギリス決戦か・・・
2002年10月28日(月)
いよいよ待望の会場入りの日。
会場が使用出来るのは14時30分からという事で、まずは別に用意して貰った大学内のスペースへ。
各自、身体をほぐしたり、機材のチェックをしたり、ギターの練習をしたり、ビデオの編集をしたり、街まで移動して宣伝活動をしたり。
14時30分になって待ちわびた劇場入り。
と思ったら急遽公演場所を変更した事による、連絡系統の不都合で、17時〜20時30分はこの場所が使えないとの事。
辛いがやむを得ない。時間を有効に使う手を考えるしかない。
まず照明の川口に機材や設備の再チェックを行って貰った後、皆と話し合いつつ、最終的な演目の相談。
「021-WRINKLE」「017-SPEAKER」「022-RIDERS」「011-DOT」「012-RAG」に決定。
「021-WRINKLE」と「022-RIDERS」はここイギリスが初演となる。
プロジェクターから投影する映像をチェック。
黒幕の上への投影を試すが、やはりやや暗くて苦しい。
劇場機能にはない黒幕を上げ裏にあるスクリーンを出す方策を考える。
その為に必要になった材料を買い出しに、デッドになった17時〜20時30分の時間を当てる事に。
日本で言うホームセンターへ。ほぼ材料揃う。
夕飯を取って20時30分を待ち、待望の再会場入り。
この間、まるで「おあずけ」を喰らった犬のよう。
ハウハウ!と我慢しきれない息を吐きながら、無理に「おすわり」している感じ。
飯も食う気になれず、コーヒーだけ体内にいれながら、ひたすらに20時30分を「おあずけ」状態で待つ。
黒幕の引き上げ方は思った以上にうまくいく。
他の作業も若干終了させ、退館。
そして宿泊先に戻った後も、ミーティングは続く・・・
2002年10月27日(日)
朝起きたらサマータイムが終わっていて、時間が変わる。 土日は劇場も会場スタッフも完全休。
という訳で、今日は会場入りが出来ない。
映像の編集作業がある村山を家に残し、午前中から、宿泊先のフォークストンからカンタベリーへ移動。市街地でフライヤーを配付しに回る。
その後ロンドンはカムデンマーケットに移動。珍しく観光というか買い物。
流石、パンク発祥の地ロンドン。海外どこへ行っても関心を持てるショップなど中々無かったのに、凄い量の品揃えで俺好みの服がある事ある事。
色んな意味で「キマッテル」兄ちゃん、姉ちゃんの店員に案内され、マジックで書かれた「ズボンは上」という文字を見ながら、店内の奥深くへ。どこに連れてくのだ?この涎を流したアンちゃんは。
辿り着くとこれは数日かけて改めて来なくちゃなという量が!デリシャス。
この店を出てみると、今度は向いにサイバー系の店が!!!
あーだこだの挙げ句、結局、数着買い込む。えびす顔が止まらず。

その後、今日パリからカンタベリーに到着する最後のツアーメンバー川口真人と合流して、宿泊先へ戻る。
食事をした後、明日からのイギリス公演、そして無論今回の欧州ツアー全体に関するコンセプトを確認しつつ、ミーティング。
2002年10月26日(土)
久々にたっぷりと睡眠を獲得。
カンタベリーに宣伝、そして今日イギリスに着くスタッフの村山、安部の2名を迎えに行く皆を見送って家に残り、一日PCに向かっての作業。
をしていたら、外出組が道に散々迷ったらしい。
結局深夜に皆と合流。
2002年10月25日(金)
深夜1時の便でイギリスへ出発。約13時間のフライトで、朝8時頃にヒースロー空港に到着。
今回のイギリス公演のプロデュースと、この後約1ヶ月の欧州公演を通訳として参加してくれる大見謝若菜が迎えに来てくれる。
彼女は昨年の「SSW」沖縄公演の主力スタッフとして活躍後、今年からイギリスに留学している。
空港から、早速公演場所であるケント大学内にあるスタジオに向かう。
イギリスに到着してから、着ている革ジャンとパンツが随分柔らかくなってきている。心地よい感じ。湿気の違いでなのか。
ケント大学に到着。一周4km位はあるという広い大学の敷地。一周4kmって、7月に出演した岡山県の犬島と同じ位の広さか。
ここは生徒数約6000人、犬島は人口約80人だけれど。
スタジオ内で劇場の担当者やテクニカルスタッフと打ち合わせ。
実は今回のイギリス公演、ちょっと手違いが生じていて当日仕込み、本番という予定だったのだが、彼等がよかったらすぐ隣にある劇場ならば、多少の時間制限はあるものの、前々日から使用できると言ってきてくれる。
早速隣の劇場を見にいく。こちらの方が広い(ほど良いサイズ)し、機材も揃っている。何しろ、時間が圧倒的に取れる。
という訳で、急遽公演場所をこの「Aphra Studio」に変更。
予定していた会場の本当に隣(というか繋がっている)の為、既にインフォメーションしてしまってはいるが対応も問題ないとの事。
今回のツアーでは、会場の特性、条件によって選択する演目、その並びを変える予定。
その為、改めてどれを上演するかを考え直す。
大学内のバーで、ビールを飲んでから宿泊先の大見謝さん宅へ。
大家さんが我々の使用する場所を掃除してくれているらしい。
待っている間に睡魔に襲われ、そのまま就寝・・・
2002年10月24日(木)
朝5時近くまで、指輪ホテルの羊屋白玉さんと対談。思いのほか話が弾み、こんな時間まで。この様子は次回の指輪ホテルの公演のパンフレットに掲載予定。
帰宅後、慌ててビデオのダビングやら諸々の、残りの出発準備をして、7時には成田空港に向け出発。
音楽のスカンク、制作の松本と共に11時発の便に乗るが、スカンクの荷物が大き過ぎると機内持ち込みを拒否される。
全て機材の為、壊れ易いので預けられないと粘ったらしいが、今日は満員だからと断られたらしい。
夕方にタイのバンコクに到着。ここでトランジットの為、約9時間も時間が空く。
スカンクのみ一旦タイに入国し、機材を取り戻す。こちらは、空港のロビーで仮眠。久しぶりの睡眠。


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