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DIARY(2003年11月)

2003年11月18日(火)
来年度のある企画の打ち合わせの為、指輪ホテル事務所へ。
主宰の羊屋白玉さんやプロデューサーの上田茂さんと話す。
企画の詳細はまだ明かせないが、作品的な事も制作的な事も我々を取り巻くアート環境に関しても、感覚的な同意も否定せず且つそれを言語化してきちんと話せる事が非常に面白い。
2003年11月17日(月)
寝たのが深酒した後の朝7時過ぎでは流石に辛く、チェックアウトを1時過ぎまで遅らせて就寝。
何とかホテルを出た後前島アートセンターの宮城潤さん、琉球芸大のスプリー・ティトスさんらが主催する美術イベント「wanakio 2003」を観に。
とは言え、今は平日の昼間出で特別なイベントは無いし、3本柱の一つである「まちの中のアート展」は22日から。
残念ながら具体的には何も見れなかったのだが、会場になる予定の「農連市場」や「桜坂」付近を散歩。

喫茶店で数時間潰して、19時過ぎの飛行機で帰京。
2003年11月16日(日)
JDDNの「踊りに行くぜ!!」沖縄公演を観に出掛ける。
沖縄で制作をしている祖父江玲さんは9月に僕も出演させて頂いた「NEW SHOXX in OKINAWA」をプロデューサーでもあって彼女の今回の仕事を観てみたかったし、沖縄の「踊りに行くぜ!!」は確か5月位の会場の選考段階からやや関わっていたしで非常に気になっていたからだ。
更に自分が出演する新潟・仙台公演の打ち合わせの必要もある。

15時30分頃に那覇空港に着。今年3回目の沖縄。
ここ数年ずっと建設中の姿を見ていたモノレールに初めて乗ってホテルへ。早急に返信したかったメールを書いていると、もう会場へ向かわなければならない時間だ。
歩いて会場の前島アートセンターへ。

5組の演目を観る。
終演後、9月のここでの僕の公演を観に来てくれた方が声を掛けてくれる。嬉しいね。

今回の企画では、個々の作品の好き嫌いとは関係なく、気になった事がある。
皆、非常に似通った感じに見えてしまうのだ。
ラフな衣装、無音若しくは静かめの音、音量音圧、使い回しの多い照明(このような多数が出演するイベントである故の難しさは理解する)、右方上がりの構成、動き方、・・・。
全てが全組に当て嵌まるとは言わないし、違いを並べていけば同じように多数の点が上がる事も理解する。
また、似ているからといって必ずしも良く無いとは言えない。
ただ、フライヤーにもあるようにJCDNの指向として「既成のダンスにとらわれることなく、オリジナリティのある動きや新たなダンスの価値を創り出すこと」を謳っている以上、如何なものかと思うのだ。
ジャンルとしては特定し難い、身体を使った舞台の集合であるからこそ、僕はJCDNの活動に関心を持ったり出演をさせて頂いている訳だが、それが如実にあるベクトルを持ってくるとなると疑問は生じる。
また同じくフライヤーにある「各地域の観客に新しいアーティストを紹介することにより、ダンスへの理解が深まり、観客が育っていくこと」も判るが、その事の開演前の説明の挨拶やアフタートークがもたらす影響として、妙な研修会か勉強会的な場になってしまう傾向も感じられる。
楽しむ場というよりは啓蒙の場。各地でのオーディションという響きもこれに加担してしまっている気がする。
今回は僕は出演はしていないにしろ、アクティブ会員なのだし、新潟・仙台は出演する訳でこの事は課題となる。

一方で、沖縄公演は他の地域と異なり、市など公の協力が多くある訳でも、スペースを所有している人間や力のあるプロデューサーが請け負った訳でも無い中の企画で、この環境の中で実現まで持ち込んだ、祖父江さん、宮平光仁さんを始めとする沖縄のスタッフ、担当のJCDN水野さんの尽力、実行力は本当に凄いと思う。

前島アートセンター1Fのカフェ→移動して居酒屋の流れで打ち上げ。
来沖されていた美術家であり岡山でダンスギャラリーやダンスカフェを立ち上げられている小石原剛さん、レニ・バッソのプロデューサーの布施龍一さん、美術のキュレーターの嘉藤笑子さんらと歓談。
小石原さんとは初対面だったのだが、ダンスギャラリーやダンスカフェの共同で企画されている倉地桂子さんは今年の大阪公演に来て頂いていて、その際に岡山の場所を見に行かせて頂く事を約束させて頂いていた。改めては近々の岡山行きの希望の旨を小石原さんとする。
出演されていた砂連尾理さん、寺田みさこさんとは久々の再会。きちんと挨拶をさせて頂いた事はなかった山下残さん、康本雅子さん、三好絵美さんとも声を交わす。

テクニカルディレクターの相川さんJCDNの佐東さんと新潟公演の演目の最終打ち合わせ。
当初、今回の「踊りに行くぜ!!」の僕の役割として暴れ役というか異端的な風味でという事が議題としてあり、「021-WRINKLE」や「015-PETAL」の上演が候補としてあった。
ただ機材的、物理的、時間的な問題や数組が出る企画の中での効果的な役割を討議した結果、昨年も前橋、那覇で上演させて頂いた「012-RAG」に演目は決定。
場合によっては特別な演出をする調整の可能性を考える。

沖縄から照屋美季さんとのデュオで出演されていた又吉大介さんらと、今回の企画に関して熱のある話をしているとあっという間に時間が発ち、気がつけば朝6時過ぎ。
佐東さんとタクシーを相乗りしてホテルへ戻る。
2003年11月14日(金)
今年も海外公演は非常に充実していた。
何故こうも素晴らしい日々を送れるのか。
渡航費の事もあり(今年は渡航費は東京都、稽古場はセゾン文化財団の助成を受けている)、年に何度も出掛ける事は出来ないから、公演はなるべく詰め込む。
故に公演三昧の日々を過ごせる事も理由ではある。

しかし何より大きいのは、各地で僕らの公演を非常に楽しみに待っていてくれる人々が多くいる事だ。
僕らは海外での公演の殆どは招待を受けて行っている。
プロデューサーやスタッフ、そして観客が我々が来る事を本当に待ち望んで喜んでくれている。
日本でも数年前から自主公演以外の企画にお誘いを受ける事が多くなってきたが、このように「請われて」やるような機会が増えてから上演に対する意識には随分と変化があった。凄い喜びを覚えた。
その事は海外で特に顕著だ。
海外と大雑把に括ってしまうのは実はまずいし、観客が多い事も少ない事も、受けが良い時もそうではない事もありはする。
しかし、概ね我々を楽しみにし、そして自分が強く楽しもうとして足を運んでくれる。
この自分が楽しもうとする姿勢が本当に気持ち良い。
我々は確実にその時必要とされている。そして我々もオーディエンスやスタッフとの関係が必要と切に思える。
この楽しもうとする積極的な姿勢を我々は忘れてはいないか。
マスに成功者に起業家に政治家にプロレスラーに、そしてアーティストに常々文句や苦言を呈す姿勢など本当に水準が上がった結果と言えるのか。
最早、自分から楽しめない状況に我々はしていないか。

またアーティストという職業に対する認知も大きな差がある。我々の営みを非常に尊重してくれる。
国内では食えない生産性のないアングラの鼻つまみものの親不孝者の区民センターの稽古場を追い出されるような僕らがだ。
勿論、前述したように招待されたアーティストが各地のアート関係者と中心に接触しているからという事は分かっている。
ただ街を歩いてるだけでも受ける感覚は違うのだな。
更に僕にとって嬉しいのは、他と違うという事を特に評価してくれる事。
既存のジャンルと照らし合わせたり、既知のものへの期待では無く、それらとは何か異なる点を面白いと感じてくれる。
○○では無いから駄目なのでは無く、○○では無いから良いという軸。

そして僕らはこの1ヶ月間、決して儲かったり残ったりはしないけれど、各地でギャラと移動費と宿泊場所を得て5人が生きてきた。
この事は当たり前かも知れないが、普段日本で暮らしている身にとっては凄い事だ。
2003年11月13日(木)
今日も電話で照明の宇野と打ち合わせ。
「踊りに行くぜ!!」の演目に関し、何パターンか用意。
2000年から始めた「SHORT SOLO WORKS」は現在上演可能なものが15作品ある。幾らでも考えようがある。
増えたものだなあ。そしてこれらをいつでも出来る体勢にある、音のスカンク、照明の宇野、メイクの松本を手前味噌ながら凄いと思う。
このような状況は「SHORT SOLO WORKS」を始めた時点での狙いでもあったのだ。
2003年11月12日(水)
さぼっていたこの日記をメモや記憶を元に書く。
この間、ブダペストのゾルタンやアンドレアからは喜びのメールや葉書が届いている。
プラハのパベルからはフェス自体もその後良い評が出ているが、僕らの公演が特に取り上げられているよというメールが来ている。
オーストリアやハンガリーからも素晴らしい公演写真が届いた。
近年の僕のフライヤーや宣材として使用させて頂く写真は海外で撮って頂いたものが殆どだ。
海外での公演は何故にこんなにも反響と喜びがあるのか。。
その辺は改めて近々書くとして、改めて言う。「駄目な部分を探して突き合ってる日本の状況は糞喰らえだ。」

宇野の描いてくれた仕込み図や彼女が行ってくれた相川さんとの打合せを元に「踊りに行くぜ!!」に関する戦略を練る。
2003年11月11日(火)
「踊りに行くぜ!!」の事もあり、欧州ツアーのビデオを見まくる。特に新作のチェック。
新作の新鮮さと粗さ、何度も上演している作品の変化。いくら練習しても届かない本番という経験。
最近きちんとは数えられていないけど「011-DOT」とか「012-RAG」はもう30〜40回かそれ以上上演しているかもしれない。
その回数で得られるものは、やはり確実にある。
機会を増やしてくれている制作スタッフや各地のプロデューサーに改めて感謝。
でもまだ足りない。例えばプロレスは(少なくともちょっと前までは)、毎日のように試合をしている。その事で出来ると確信が持てる発見は多い筈だ。相手(選手・スタッフ・観客)への信頼、確信も。
年に数度の公演では寿命がいくらあっても足りない。やり切れない。
2003年11月10日(月)
JCDNの水野さんと10日後の「踊りに行くぜ!!」新潟公演について電話で打ち合わせ。
その後照明の宇野経由でテクニカルディレクターの相川さんとも打ち合わせして貰う。
現時点で希望する演目は機材的な問題があるかもしれない。次の手も思案。
2003年11月09日(日)
東京ドームへ。「PRIDE GRANDPRIX 2003 決勝戦」の観戦。
知り合いを通じて頂いたロイヤルリングサイドの席。 しかし山本に対しては厳しいなあ、皆。結果を出すという大きな事はあるのだけれど、経過のアグレッシブさは桜庭の試合と大きくは違い無い、否それ以上な気も。実績とか事前の期待値、ブーイングしてよい人間との多数の判断におののく。
シウバ×吉田もシウバ応援してたら「非国民」的な感じだしな。
大会は楽しみました。
でも大刀光や谷津のような選手の不在でちょっと残念な自分。あ、ボビッシュがいたか。
選手退場通路のすぐそばの席。ランペイジが目の前を通った。ノゲイラが目の前を通った。ヘンダーソンがが目の前を通った。ルッテンが、ランデルマンが・・・ミーハー。
プロレスラーや格闘家は素晴らしき異常で特殊な人々だ。
久々に大阪のミスター・ヒトさんのお好み屋に行きたくなる。


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