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21世紀に伝えたい建築(私の好きな建築)
bolt。 私の好きな建築?

生活文化 第4号 1999年8月発行
高橋大助

PHOTO/WATASE KEIICHIRO
007-BOLT PHOTO  普請中の建造物を取り囲むようにしてあるスチール製の板とパイプとで出来た「足場」、その一番上に僕は腰掛けている。だが、そこに建物はない。代わりに、「足場」が取り囲む直方体を、あたかも対角線のように斜めに横切る吊り橋がある。直方体の六分目ほどの高さに位置するその橋を僕は見下ろしている。夢の話、ではない。

〈007-BOLT〉と題されたNUMBERING MACHINE・丹野賢一の公演でのことだ。薄暗がりになれてくると、吊り橋に敷き詰められているものが見えてくる。bolt、だった。彼らは無雑作に放り出されたようにして、そこにあった。わくわくする懐かしさ。臆病な僕には実際のところそんな経験はないのに、 建築現場の大冒険を思い起こさせるのだ。

 そして、彼、が登場する。いつもの彼。しかし、何処か近未来を思わせる革製らしいロング・コートに身を包んで、boltを踏みしめながら吊り橋を渡る彼には、今日は何となくバロック的な趣を感じる。 だから、スチールのパイプを振り回す彼に僕はこんなあだ名をつけた。建築現場の荒ぶるフェアリー。

 問題は彼の怒りの矛先。〈建築〉に破壊される自然の代弁者ではあるまい。〈建築〉という行為がその本質として持っている暴力性の化身なのか。いや、違う。彼の怒りに応えるようにしてざわめくものがある。boltの群。いつもなら、建造物を内側から行儀良く支えるboltたちが、今は、彼ら自身の歌を歌う。

 boltの美しさ、多分それは機能とかたちとの幸せな一致から生まれる。文明の文脈の中で確かな役割を果たすこと、それが彼らの美を保証する。しかし、彼らのかたちは、時に機能を逸脱するのではないか。子どもの目はその逸脱を見抜き、彼らとともに歌うことが出来る。思えば、妖精を視ることも、子どもだけに許された特権であるだろう。


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丹野賢一/NUMBERING MACHINE:mail@numberingmachine.com
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