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扇町ミュージアムスクエア公演
高橋大助

SSW PHOTO 扇町ミュージアムスクエアは使いよい劇場には思えない。劇場空間の真ん中に位置する二本の太い柱。たぶん、使用者は頭を悩ませることだろう。しかし、そのハンデを逆手に取ることも可能なのだ。
この公演の成功には、劇場の使いにくさに対する工夫によってもたらされた側面がある。 SSW は柱に挟まれた部分に一段高い見所を造った。中州のようなこの場所を挟むかたちでステージが二面。入場した観客はまず、ライトに照らされた長机と椅子とがある側を向いて居場所を決める。

やがて、スッと登場した山田うんが椅子に座る。「ロック」という作品名通りの音に乗せ、凝った肩を気にしたり、顔をいじったり、身体を掻いたり・・といった日常的な動きを加速して行うが、これには笑いながら頭を抱えた。
大学の教授会でぼくの姿をビデオに撮り、早送りで再生したら(あんなに綺麗ではないですが)そっくりになる(と、本人に言ったら爆笑された)。

この作品があっという間に終わり、暗転となって、〈拡声〉された息づかいが聞こえてくる。暗闇の中、観客は耳を頼りに音の出所を探す。〈彼〉に近い客はステージが反対側に移ったことに気がつき始めるが、ほとんどの観客は灯りがつくと同時に〈彼〉の姿を追って反対側に身体を向けた。013-FIN のイグアナ王子は、成長したらしい。ヒラヒラが大きくなり、身体もほっそりとして、だいぶスタイリッシュになった。そのせいか〈虚勢〉という感じが消え、これが本来の姿か、と思った。
ただ、無理を承知で希望を言えば、最後の大きく胸を開くシーンでは、ヒラヒラがさらに大きくなって、身体を覆い隠せるくらいになって欲しい。そうするとこの王子が何かしでかしそうなワクワク感が増すのではないかと・・。
続く「コロナ」で山田うんは、悪魔儀式か何かに関する文章をテキストとした足立智美の朗読にあわせて、まるでそれ自体がお呪いのような動きをする。同じ朗読、同じ動きが三回繰り返されるこの作品は、名古屋公演の際には、今一つピンとこなかった。
しかし今回、イメージが変わったのは、左右のステージと見所の三ヶ所移動して踊って見せたからだ。山田うんを追って観客も身体ごと(あるいは視線だけでも)移動する。彼女を追う観客の群は、それ自体が一個の生命のようになった。もしかすると、あの動きはホントに呪いだったのかもしれない。

中入りのあとは、丹野賢一の 011-DOT から。フロアにフットライトで作られたサークルの中で、もはや「DOTな」と形容したくなる滑稽で情熱的なカクカクしたあの動きが始まる。
ドットの荒いごく初期のデジタル・アニメーションから抜け出したようなこのキャラクターは、最も完成度の高いものだろう。一種の人形振りともいえるのだろうが、デジタルが開いた世界の身体性を形式化した動きという評価を与えてもいいのではないだろうか。
それはちょうど、W.ギブスンが『ニューロマンサー』で電脳空間を記述する文体を発見したのと同じく・・というのは褒め過ぎか。

後半、二本目は山田うん「スカイラーク」 これも名古屋とは全く違う踊りのように見えた。
常に、つま先、踵など足に一部をつけるだけでくるくると踊りながら、「どうしましょ、どうしましょ」という表情で、軽やかに、目まぐるしく、三つのフロアを次々と移動する彼女は、まさしく可憐な小鳥のよう。決してつかまえられない感じも、大空を翔るあの生き物に抱くのと同種の憧れをぼくに抱かせる。

今回締めは、丹野の 015-PETAL 。こちらは作品の構成もだいぶシェイプ・アップされ、すっきりした。
それとこの公演では「柱への突進」が期せずして観客の不満を代弁することになった。邪魔なんだよこの野郎! また、見るために移動するという能動性が要求される分、観客は、この作品の挑発を受ける、というより、挑発に同調する感じが強くなったのではないか。

 ここ三回の WEST 公演の中では、今回が一番の出来、とぼくは見ました。

 さあ、いよいよ浅草。この昔っからの興行のメッカで、どんなことになるのでしょうか。  


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