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平成のBASARAものたち
「芸団協Journal」vol.8(2002年8月27日発行)
小川智紀

芸団協Journal  台風で電車が止まるほどの暴風雨に見舞われた夕方。髪を立て、赤い服を着て、赤い傘をさした丹野さんが現れる。まるで、彼のステージの一シーンを見ているようだ。聞けば、舞台衣装をそのまま着ているので、新作を作るごとに新しい普段着が増えていくのだとか。

 丹野さんが現在のスタイルを作り出すきっかけは、中学生のとき。パンクミュージックに傾倒し、バンドを作って活動し出した。時は80年代。既成の芸術ジャンルを越境した表現が渦を巻くサブカルチャー・シーン全盛の時代だった。音楽の情報を手に入れようと雑誌をめくっていても、自然と演劇やぶとう、アートといった隣接する分野の情報が入ってきて興味が拡がった。高校時代には、友人に誘われるまま演劇の舞台に立ち、自分は音楽より舞台に向いていると直感。高校卒業後に「演出や脚本といった、事前の決めごとに奉仕するだけの演劇よりも刺激的」だった田中泯主宰のパフォーマンス集団「舞塾」に参加し、その後ソロ活動に転じる。以後ずっと、ジャンルをめぐる問題がつきまとう。彼の作品群を大きく分ければ、4トンに及ぶピンクの粉や3000個のコンクリートブロックなどといった物体と絡む作品と、一切の装置を排除し衣装やメイクを使って異形のキャラクターに扮する作品の二つになる。どちらもダンスやパフォーマンスと名乗っていない。「この作品はパフォーマンスかどうか」といった類いの議論に関心はないし、ジャンル自体の意味を自らが背負う必要はないと感じるからだ。あるイベントでは、工事用のパワーショベルに吊られ振り落とされる作品を上演したが、観客として見に来ていた子どもたちに翌日出会い、ヒーロー扱いされた。大人たちのジャンル論争を横目に、である。

 舞台上では作り手の意志と異なったものが観客に届く。受け手の関心事に左右されるからだ。だから作品づくりでは、作者の思考を正確に伝えることよりも、どうしたら記憶に残るシーンを作れるかがポイントとなる。そのために、受け手の感情の振幅を誘うような構成を考える。同時に「作者の解釈」を極力排除することとも心がけているので、カンパニーの名前は「NUMBERINGMACHINE」。本当は「#12」のように、機械的にナンバーを打ちつけるようにしたいが、作品名にはサブタイトル的なコトバも付けている。観客に作品がより伝わるように考えた暫定的な結論である。

 そんな彼のプライベートは一風変わっている。「できれば、寝ないで食べないで生きていたい。風呂に入るのも退屈でたまらないんです」。自称・生活ギライの丹野さんは、創作現場と同じように日常でもストレートに相手に向かってしまう。電車に乗っていて、マナーの悪い子供に説教をしたことさえあった。「最近では自分の活動をとりまく環境が充実してきたので、わりと生活との折り合いがつくようになってきました」

この春、京都でのイベントに参加した。出演者はほかに笠井叡、野村誠、森村泰昌など長い間一人で活動を続けてきたアーティスト。イベントを終えて「こういった人たちとの“一瞬だけの集団”もいいもんだな」と感じた。丹野さんの活動も音楽やメイクなど多くのスタッフとの共同作業を含んだセルフプロデュースが基本である。最近では公演の助成に関連して、制作担当者とともに自身が交渉の前面に出ていく事も増え、多くの事が見えてきた。助成をする側は単純に金銭面の問題のみで動いているのではなく、アート全般のことを真剣に考えている場合が多い、という感想を持つ。「たとえばフェスティバルなどの企画にしても、どうやったらそれぞれの出演者のモチベーションを上げ、新しい可能性を引き出すことができるか、といった全体を考えることも重要なんです」。丹野さんは、明確な言葉と論理的な思考を武器に、先陣を切って表現の場所を模索していくのだろう。


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丹野賢一/NUMBERING MACHINE:mail@numberingmachine.com
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