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堅牢な掟の下での完璧なキャラ立ち
隔月刊「Ballet」(音楽之友社)Vol.28 2002年11月号掲載
武藤大祐

Ballet 丹野賢一/NUMBERING MACHINE「PUNK EXECUTION -SHORT SOLO WORKS-」
(西荻WENZスタジオ、8/17(土)所見)

コスチュームやメイクで作られた、異形のキャラクターを演じる短編ソロ作品集。
真っ暗な中から赤いコートの男が現れ、しばし佇んだ後おもむろに壁に走って激突した瞬間、壁の斜め上からライトが入り、金属ノイズのビートが刻まれ出す。「キマッた」と思った。意味はわからないがただただキマッた。
この作品はこうやって何度も壁にダッシュしては激突して倒れ続けるという、言葉にしてしまえばいかにも単純なパフォーマンス。壁にぶつかって床に崩れ落ちた後、また立ち上がってフロアに戻ってくる。そして再びダッシュして激突する。マゾヒスティックな恍惚に浸るかのように壁に手を這わせながら腰が落ちていく。立って、走ってぶつかって倒れる。スモークが噴き出す。そのタイミング、煙が空間に広がっていく速度、変化する形までもが完璧である。パフォーマーの動きと演出(音や光、時間と空間の造形)が、見事に一体になっている。
そもそも“キャラクター”というのはまっさらな空間にポツンとあるのではなく、背景となる世界観を携えているもので、それが見えるようでないと薄っぺらになってしまう。
ミッキーマウスにもドラえもんにもそれぞれの世界がガッチリある。キャラクターと世界観はセットで一つの虚構世界(フィクション)を構成し、それが掟(ルール)としてよく固められていさえすれば、ある種の説得力が生まれる(だから企業が使う即席単発のマスコットキャラはショボく見える)。
例えば古典的なロックミュージシャンのステージなどもそうで、矢沢の永ちゃんは何か立派なことをしたからカッコいいのではなく、“カッコよさ”のための独自の掟(ルール)が完璧だから、問答無用にカッコいいのだ。
いわば、好き/嫌いの次元を超えた純然たる掟(ルール)の完成度というものが存在する。
そして既存のジャンルに寄りかからずワケのわからない所でこれを達成してしまえば、それは面白いことになる。丹野の場合がまさにこれだ。
全身傷だらけ、服はボロボロの男が床をかき回すように動く、だけ。拡声器をもって呼吸音を激しく轟かせ続ける、だけ。それでも、ひたすら弛みなく完成されている。
ネタは少し地味だが、黒い網状のシャツを来た男という作品。低い位置からのライトに照らされた四つん這いの男が、絶妙のスピードコントロールでフロアを斜めに横切っていく、だけ。それだけで、怖い。美しい。クラクラした。


(本稿は隔月刊「Ballet」(音楽之友社)Vol.28 2002年11月号に掲載された文章に加筆・訂正したものです)


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