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有刺鉄線に会う
2003年3月23日 当HP掲示板寄稿
高橋大助

PHOTO/WATASE KEIICHIRO
002-BARB PHOTO 有刺鉄線はどうしても「物語」を呼び込んでしまう。
バリケードの内外に対峙したことのある人はもちろん、ぼくのようにそんな記憶のない者でも、触れることを躊躇する禍々しい「物語」を有刺鉄線は連想させる。
だから、ぼくは有刺鉄線を見たことがないのかも知れない。
見ようとするぼくを「物語」が邪魔をするのだ。触れたこともある。しかし、既に与えられていた「物語」がその体験を見失わせる。いくら関わっても、ぼくにはものとしての有刺鉄線を自身の経験にすることはできない。

しかし、かれは違う。有刺鉄線に包まれ育まれながら、その愛を振り切って立ち上がったかれは違う。かれが動く、有刺鉄線が撓む、張る、擦れ合う。かれの皮膚のようなビニールのコートに刺さる棘。引き離れるたびに響く音。ピチッ、ビッ、ビッ、ビチ・・・。ものとしての有刺鉄線をかれの動きが垣間見させる。
そんなかれが客席と舞台との境界線であるかのように張られた有刺鉄線に何度も突進し、挙げ句の果てにペンチで切り開いてこちらに歩み出す。
このとき、有刺鉄線がないことの恐怖を覚えたのだが、その恐怖こそぼくがまだ有刺鉄線の「物語」の掌中にあることの証明だった。
だから、その直後、隠蔽されていた塗料のプールを見つけて戯れるかれが朱に染まっていくように見えたのも「物語」の力だったろう。有刺鉄線には血の赤・・・。先入見が視覚を狂わせたのだ。

  だが、よく見るとかれはピンクだった。鉄線にピンク。
屋台崩しを思わせる仕掛けで荒らされた工事現場のようになった空間で、ピンクを放つ男が有刺鉄線に遊ぶ。
撓み軋み揺れ絡み、狂乱する有刺鉄線に、ピンクの花が咲いたように見える瞬間があった。その花はぼくの「物語」には存在しないものだった。たぶん、その瞬間、有刺鉄線を見る視角が開きかけたのだ。もっとよく見ようとしたとたん、かれが最後の灯りを叩き割り、全てが闇に沈む。

嘗てものと絡む丹野賢一は当人の嗜好とは異なり、格闘技的だった。殺すか殺されるか。壊すしかなかった。しかし、いまはプロレス的だ。ものへのアプローチは相変わらずハードだが、それは壊し勝ち抜くためではない。相手の力を引き出すために大技を繰り出す。 結果、ものに奉仕させるのでなはく、ものとともにある舞台となった。あえていえば、ぼくは今回、丹野賢一の力を借りて有刺鉄線を見たのだ。あ、あたりまえか。作品タイトル「002-BARB」だもんな。


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